秋田城跡歴史資料館「秋田城と古代貨幣」
1月10(日)、秋田城跡歴史資料館を訪れた。秋田市では7日に暴風雪となり、その暴風雪が原因で7日から8日にかけて大規模な停電が発生し、さらに8日9日にいきなり50cmもの降雪で除雪が追い付かずに交通がマヒするなどとんでもない日々が続いた。現時点では小路はともかく大体の除雪は済んでだいぶ良くなった。この日は青春18きっぷで最後の鉄道旅行を予定していたが、JRがほぼ運休したために予定変更して秋田城跡歴史資料館を訪れた次第である。ただこの企画展「秋田城と古代貨幣」は興味があり訪れるつもりだったので、それがこの日になっただけと言えるかも知れない。
秋田城は奈良時代から平安時代にかけて現在の秋田市寺内に存在した古代城柵である。
大和朝廷は7世紀半ばから9世紀初頭にかけて北方に領土を拡大し、蝦夷(エミシ)を徐々に支配下に置いた。大化3(647)年に淳足柵(ぬたりのき/ぬたりのさく:新潟県新潟市)、大化4(648)年に磐舟柵(いわふねのき/いわふねのさく:新潟県村上市)、斉明天皇4(658)年に都岐沙羅柵(つきさらのき/つきさらのさく:所在地不明)が築造された。そして文武天皇元(697)年前後に越国が越前・越中・越後に分割されて、淳足・磐舟の2郡で越後国が成立した。概ね現代の新潟県下越地方が最初の越後国で、蝦夷との最前線を担当した。その対蝦夷政策の拠点として大宝2(702)年に親不知以東の頸城(くびき)、古志(こし)、魚沼(うおぬま)、蒲原(かんばら)の4郡が越中国から越後国に編入されて拡大した。さらに和銅元(708)年に出羽郡が新設されて越後国は7郡体制となった。
続日本紀の和銅2(709)年の記述に「蝦夷征討のために諸国に命じ、武器を出羽柵へ運搬した」という主旨の記述があり、この年には出羽柵(でわのき/でわのさく:山形県庄内地方)が築造されていたことがわかる。和銅5(712)年に出羽郡は越後国から分割されて、さらに陸奥国から最上(もがみ)・置賜(おきたま)の2郡が編入され3郡体制で出羽国が成立した。成立当初の出羽国は概ね現在の山形県と同じ領域と考えられている。天平5(733)年の記述に「出羽柵を秋田村高清水岡に遷置した」とあり、さらに天平宝字4(760)年の記述に「阿支太城」の表記があり、この頃出羽柵は秋田城に改称されたと考えられている。
出羽柵が庄内から秋田に遷置されたとき、国府も移動したとの説が有力だが、国府機能は庄内に留まったとの説もあり決定的な根拠は存在しない。庄内に築造された最初の出羽柵の所在地が不詳であり、ここが見つかればもっと確かなことが分かるだろう。ただ国府であったか否かに関わらず、秋田城は最北の官営城柵として対蝦夷の最前線基地であり、出羽国北部の行政拠点であり、また大陸との外交拠点でもあった。
秋田城跡歴史資料館は秋田城跡で発掘された様々な資料が展示されており、また秋田城が機能していた時代について総合的に学ぶことができる資料館である。
2019年3月にもここを訪れており、その時のブログ記事もどうぞ。
秋田城跡歴史資料館ホームページ
朝廷はこうして東北に勢力を拡大した。
多賀城は陸奥国府であり、鎮守府が置かれて蝦夷に対する陸奥国と出羽国の総司令部でもあった。
志波城は征夷大将軍・坂上田村麻呂によって築城された。
払田柵は文献資料に見当たらないために当時どのような名称であったか不明である。たが外郭の木柵を年輪年代法で調べた結果、802年に伐採された木材が使用されていることがわかり、当時の桓武朝が進めていた征夷事業における胆沢城・志波城の築城と一連のものであることが分かった。
秋田城においては天長7(830)年に出羽大地震で官舎が崩壊するなどの壊滅的な被害を受けており、また元慶2(878)年には蝦夷の蜂起で秋田城を占拠されるなどの事件が起こっている。そのため秋田城停廃が議論された。日本三代実録には仁和3(887)年の記事に出羽国府が出羽郡井口地とあり、それは城輪柵のことで、その時期までに国府が移転したと考えられている。
天平の井戸
左側に流れるのが雄物川。日本海が広がり、その先に見える陸地は男鹿半島。
秋田城の屋根瓦
漆紙文書はこのボードに書かれているように、漆が染みることで腐敗せずに現代に残った古代の文書である。古代において紙は貴重品であり、役所で廃棄された書類が漆職人に払い下げられ再利用された。これらの廃棄文書には文献資料の少ないこの時代を解析するために色々と貴重な情報を提供してくれる。
漆紙文書の解読コーナー
秋田城は大陸との交流拠点でもあった。
慶雲5(708)年に武蔵国秩父郡から和銅が献上されたことを記念して和銅に改元された。そして和同開珎が鋳造発行されたが、面白いことに最初に発酵されたのは銅銭ではなく銀銭である。銀銭の和同開珎はその殆どが畿内で見つかっており東日本では数枚しか発見されていないが、その1枚が秋田城跡で見つかっている。
万年通宝も秋田城跡で見つかっている。
和銅元(708)年から応和3(963)年にかけて鋳造された皇朝十二銭であるが、それから近世まで日本では公的な貨幣は鋳造されていない。その間は主に宋銭や明銭などの中国の貨幣が輸入されて使用されていた。
渤海国は698年から926年にかけて現代の中国東北地方、ロシア沿海州、朝鮮半島北部に存在した国である。朝鮮半島の新羅とは対立し、日本に友好を求めた。その使者は必然的に西回りではなく北回り航路を取り、日本海に面する最北の秋田城が外交使節の受け入れ施設となった。
日本海を横断して北陸に寄港する船も増えたが、前半はその多くが秋田に寄港している。
秋田城跡では古代の水洗トイレが発見されている。そしてそのトイレから未消化の種実や寄生虫卵が発見されている。それらは当時の日本人の食生活ではあり得ないものが見つかり、また当時の大陸の人々なら食べていたと思われるものが多く見つかっている。この事実も秋田城が外交使節の受け入れ施設であるとの説を裏付けている。
ここではルーペで拡大して観察することもできた。
高清水小は秋田城跡そばにある小学校である。生徒たちがここで秋田城について学んでいることはとても素晴らしいことだと思う。小学生たちの新聞もご覧下さい。
こちらは復元された秋田城東門。
あちらが復元された水洗トイレ
秋田城や東北の古代城柵については今後も折に触れて紹介していきたい。
この記事へのコメント
今年はいつもより、ひどいように思えますが。
秋田城跡歴史資料館に変更ですか。
でも行きたかったところなんですね。
いろいろご覧になれて、よかったです。
活気ある開かれた所だったんですね。驚きました。
そして 小学生によって書かれた新聞から 子供達が
自分たちの住む県に 誇りを持っていることが 伝わってきて
素晴らしい事と 感動しました。
雪の秋田城東門 美しいですね。こんな雪道を歩いてみたいです。
それしか知識がありませんが
いろいろ拝読させていただき
楽しませていただきました
遅くなりましたが
今年もよろしくお願いいたします。
去年はほとんど雪が降らなかったのに、今年は異常なほどの降雪です。どうなっているのでしょうね。週末は色んなプランを考えています。お天気などをみながら決めています。臨機応変も必要ですよね。
大陸との交流は対馬海峡からだけでなく、間宮海峡・宗谷海峡・津軽海峡を経由した北回りも活発に行われていたようです。大和朝廷が秋田に拠点を作ったのも不思議なことではなかったようです。
そうですね。子供たちが郷土に誇りを持つことは素晴らしいことですよね。この様な教育は大事ですよね。
秋田城東門は復元されたものですが、なかなか美しいですよね。
雪国の暮らしも楽しいですよ。
こちらこそよろしくお願い申し上げます。
そちらは大変でしたね。東京も、今夜から
明日にかけて雪の予報が出てますが、
数センチの積雪で全国NEWSになったら、
雪国の方に申し訳ないような気がします。
秋田城址歴史資料館、興味深く拝見しました。
私が一番気になったのは、漆紙文書の
体験コーナーです。そのままでは読めない
文字が、こうして浮かび上がってくるんですね。
このコーナーは楽しくて堪らない気がします。
また、発見された和同開珎など、古代貨幣を特集した
コーナーも魅力がいっぱいという気がしました。
こうした歴史資料に日頃から接していれば、
小学生にもいい勉強になりますね。
いきなり50センチの積雪で交通マヒですか!
此方とはケタが違いますね。
で、秋田城跡資料館なんですね。
資料館での撮影は認められるべきで、私も同感です。
肖像権とかプライバシーとは関係の無い世界ですからね
地図なんかより、航空写真があると分りやすいです。
克明なジオラマも作って、大がかりですね。
漆紙文書は以前にも登場していました。
腐敗しにくくして、現在まで残っているのは凄いです。
公表したくない文書を慌ててシュレッダーにかける、
今の政府・官僚とは、どえらい違いです^^;
赤外線でその文字が浮かび上がる事は、
昔の人は知らないでしょうけど、
後世に残そうとした思いが伝わってきます。
昔の貨幣は今の紙幣と違って、貨幣その物に価値があった訳で、
造幣する労力を加えると、それ以上の価値を感じます。
これだけの貨幣が今に残っているのが不思議ですが、
ここで流通していた、証とも言えますね
子供達が書いた手書きの新聞が面白いです
最後の雪景色が東北を感じさせてくれました。
皆さんご苦労なさっていると思います。
それでも、秋田城跡歴史資料館へ行けて良かったですね。
「秋田城と古代貨幣」、なかなか興味深い展示だと思います。
戦国時代のお城とは違った、ミステリアスな古代のロマンを感じます。
外国との外交や交易の場であった意外性が、こういった展示でよりリアルに感じられます。
水洗厠舎の発掘や再現も、テレビで見たことがあります。
今は深い雪の中なのですね。
メートル級の降雪地帯もありますから、それに比べれば秋田も大したことないですが、でも通常は5cmくらいしか積もらないのに、一気に50cmは私も驚きました。秋田県内でも内陸の横手市では2メートル近くの積雪となり、昨年は雪不足となってかまくら祭りに支障が出ましたが、今年は多すぎです。
秋田城には漆工房もあったようで多くの漆紙文書が発見されています。職人に払い下げられる紙なので、さほど重要とは言えない書類が多いですが、文献資料が少ない時代を知るための重要な手がかりとなっています。赤外線カメラでこの様な文字が浮かび上がるのは凄いことですよね。
和銅開放の銀銭はとても珍しいようで、それが秋田城跡で発見されたことも興味深いことです。まだ貨幣経済は一般的でなく、物々交換が行われていた時代ですが、社会も少しずつ変化していったのでしょうね。
子供たちがこの様な歴史に触れて学ぶ機会があることは素晴らしいことですよね。
1月7日の午後から発生した暴風雪で電線が各地で切断され、翌8日には結構大規模な停電が秋田市を含む秋田県沿岸部で発生しました。運よく我が家は停電を免れましたが。8日夜から9日にかけて今度は大雪となり1日で降雪量は50cmを越えました。まあ滅多にない出来事ですが。除雪車フル稼働でも道路の除雪には1週間かかりましたよ。
資料館でのフラッシュ禁止や三脚禁止は理解できますが、通常の撮影を禁止する理由なんて考えられませんよね。SNS発信されてより多くの人が関心を持つようになればとても良いことだと思うのですが。
畿内で鋳造された貨幣が早々に遠く秋田にも出回っていたことも興味深いですよね。関東にすら殆ど出回っていなかったのに。朝廷にとって重要な拠点であったことが分かります。
子供たちが地元のことを深く学ぶ機会があり、そしてそれを誇りに思えることはとても良いことですよね。
例年秋田市では5cm程度しか積もらないのですが、今冬は異常な降雪でした。ここ数日は暖かい日が続き、殆ど融けてしまいました。でもまた大雪になる可能性があります。
国府などの奈良平安時代の拠点はなかなか興味深いですよね。史書にはあってもまだ所在地が分かっていない場所が合ったり、逆に明らかな奈良平安時代の柵なのに史書に載っていない場合があったり、分からないことが多くて逆に想像を掻き立てられたりします。古代のロマンに浸るのも楽しいものですよね。